2007年08月13日

雑感に過ぎぬと言っておかないと後で困りそうだね

先週の土曜日、例年通り学生時代の友達と一緒に東京プライドパレードに参加した。
昨年までこのパレードは、「東京レズビアン・ゲイパレード」という名称だった。
プライドという単語は、6色のレインボーフラッグとともにセクシュアルマイノリティのリベレーション活動のアイコンのようなものになっている。
セクシュアルマイノリティと言ってもレズビアンとゲイしかいないわけではないからという理由で東京レズビアン・ゲイパレードには参加していなかったが、プライドパレードと改名したことで今年は参加したという人もいた。

パレード自体の趣旨は参加する人たちそれぞれが決めるものなのだと思っている。
そう思うに至ったのは、結構しつこく蒸し返すけれども、昨年のパレードに参加した際に見ず知らずのゲイの人に「ノンケは帰りなさいよ!」と言われたことによる。
ゲイの友達に連れられてやってきたノンケの女が、「自分達のパレード」で楽しんでいることが癇に障るというのは想像に難しくない。
パレードを自分達(当事者)のお祭りとして楽しみたいという人が結構いるんだろうし。

他者(マジョリティ)と自分達(マイノリティ)という対立を作ってしまう考え方はどうかな、と思うが、パレードに参加している一個人の意見としては、それはそれで良いと思う。

パレードの目的ってそんなことじゃないよ!なんてことは誰にも言うことができないのではないかと思う。
というより、パレードの「本当の目的」なんてないんじゃないかと思う。実行委員の人たちはそれなりに考えてパレードを主催するのだろうけれど、参加する人がみんなそれに完全に同意してるから参加するってわけでもないし。
目的を異にしていても、ある程度の方向性が一緒であるゆるやかな団体が一緒に行動する場所のような気がする。
楽しいから歩くでも良し、普段は大人しくしているけど今日くらい派手な格好で歩きたいんだもん、でも良し、出会い目的でも良し、社会に同性愛嫌悪をなくせと訴えたいからでも良し、じゃないのかと思うのよね。
出会いなんかもあるんだろうけど、それよりも同窓会的な側面が強いかなとわたしは感じた。

わたしはといえば、パレードは社会の中でのセクシュアルマイノリティの可視化が目的であり、政治的な活動であると思っている。
今年は川田龍平氏や福島みずほ氏といった国政の議院も参加しており、それに対して快く思わない人も少なからずいたのかもしれない。
「会場についたとたんに社民党の車が止まってて引いた」という声も聞いたし。

わたしとしては違和感などは特に感じなかったが
政治に関心のない当事者からしたら、鼻につくのだろうなぁと思った。
むしろ多数の政治家が(売名のためにであっても)参加するほどパレードの社会的認知度があがっているというのは喜ばしいことなのではないかと思ったりして。
まぁそんなことを言っても所詮は非当事者の雑感に過ぎないけれども。

保身だけでそう言うわけではないんだけどさ。

宗教的な理由などによる目だったゲイバッシングが比較的少ない日本では、セクシュアルマイノリティ当事者が自分達の権利のために動く必要はないのだと考えている人の方が多いのかもしれない。というのは尾辻かな子の落選からもわかることだけど。
だからパレードの名称が変えられたことと、開催が復活以降3回続いたねっていうだけでもすごいかも。
posted by ま at 19:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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